愛に飢えてる

最近何にも面白くなくて、ただただ自分の周りの幸せそうな姿を目にしたり話を聞いたりして、それももういい加減飽きた。完全に独りよがりな考え方だし、周りの幸せを素直に喜べない時点で私自身が幸せになれる訳ない。わかってるけど、人間そんなキレイごとばっかりの感情だけじゃない。嫉妬、妬み、僻み、、人間の、女性の汚い部分が沸々と拡大してる。最近の私はかなりダークサイドにいる。
そもそもこの捻くれた性格は育ちからきてるんじゃないかなって考えてみた。昔から母は少年野球をしていた兄に付きっきりで、私はわりと放って置かれてた。兄は小学生から高校卒業まで野球をひたすら頑張ってた。それを支える母、に放って置かれる私。今考えたら寂しかったんだと思う。兄と違ってまともに部活には行かず放課後友達とフラフラ遊び、塾もたまーに嘘をついてサボってた。その嘘も一度もバレなかった。母は私に対しても愛情いっぱいで接してくれてたけど、兄に掛ける時間と私に掛ける時間は絶対的に違っていたし、私が反抗期だったこともあってさらに接する時間は少なかった。放って置かれてきたからか、未だに干渉されるのは苦手で窮屈だし煩わしい。兄が高校3年になって部活も終わって受験勉強をしてる時期、私は高校1年生。突然兄の体に変化が現れてよく倒れるようになった。先天性か後天性かはわからないけどとある病気が見つかった。それから母はまた兄に気が向いて、兄の心配を常にしていた。私はまた母から放って置かれて、当時流行ったチャットに夢中で夜な夜なパソコンを開いて夜更かししていた。
私は母のことは恨んでもいないし、むしろ今この歳でも甘えてばっかりで申し訳ないと思っている。でも地元を出て一人暮らししたかったのは、元々地元が好きではなかったし、母の干渉が鬱陶しかったからだ。女だし、心配されるのはわかるけど今まで放って置いた分大人になってから構われたってもう遅い。遅すぎる。ただただ無意識にずーっと寂しくて、人より愛情を感じることが出来なかったのかもしれない。と、今になって思う。
多分私は誰かに依存しがち。それは今までだいたい友人だったけど、もうこの歳になると周りの友人には結婚を見据える相手がいて友人〈恋人になってる。それが普通の歳なんだろうけど、私はまだ相手もいなけりゃ愛情を受けてもいない。何で私はこうなんだろう、何で私は1つの恋愛をいつもどこかでしくじってしまうんだろう。誰かに愛情を注ぎたいし、めいいっぱい愛情をぶつけられたい。私は多分長年愛に飢えている。いつか満たされて埋まるのかすら想像出来ない。人の幸せな話なんてもうお腹いっぱいです。